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西武鉄道の沿革

ENKAKU
・いまの西武鉄道になるまでの流れ・
池袋線・狭山線・豊島線
武蔵野鉄道とは現在の池袋線の前身にあたる企業で1912年5月7日に設立された。
地元自治体のほか有権者が出資し、3年後になる1915年4月15日に飯能から池袋間が開業。 この開業に伴い、以下の駅が同時に開業。(当時の駅名)
[飯能・仏子・豊岡町・元狭山・小手指・所沢・東久留米・保谷・石神井・練馬・東長崎・池袋]
後に豊岡町→入間市、元狭山→狭山ヶ丘、小手指→西所沢、石神井→石神井公園と改称。 1922年には池袋から所沢間が、1925年にはまず所沢から西所沢間、そして飯能までが電化され、 1927年には練馬から豊島園までを結ぶ豊島線が営業運転を開始した。
更に、1928年には池袋から練馬間が複線化され、1929年には練馬から保谷間も複線化。
狭山線にあたる西所沢から西武球場前にあたる村山公園までが開通し、同年中には飯能から吾野間 も営業運転が開始になる。
欧米諸国では第二次世界大戦中である1940年に、現在の多摩湖線にあたる多摩湖鉄道を合併、 日本も戦争が行われている最中であった1944年、狭山線が営業休止となる。
終戦後、1945年9月22日に現在の新宿線にあたる(旧)西武鉄道と食糧増産と合併、西武農業鉄道とし 翌年11月15日に現在の社名である、西武鉄道となり今に至る。
この武蔵野鉄道の創立記念日にあたる1912年5月7日が、西武鉄道の創立記念日となります。

国分寺線新宿線(一部)
川越鉄道とは合併された企業でも一番歴史のある企業で、1892年8月5日に設立された。
川越鉄道は、現在のJR中央線になる甲武鉄道の子会社として設立され、国分寺から東村山間が 1894年12月21日に開業し、この際に[国分寺・小川・東村山]の3駅が開業。
のち、1895年には東村山から川越間が開業し、現在の国分寺線の新宿線直通運用が同じ区間を 走行しているが、この開業の際に次の駅が開業。[所沢・入曽・入間川・川越]
東村山駅は当時、久米川(仮)駅として開業してたが1895年中に現在の東村山と改称され、
市制化を期に入間川→狭山市、当時の国鉄・東武と区別するべく川越→本川越とそれぞれ改称。 のち、幾度も合併を繰り返し(旧)西武鉄道となっていた1927年に東村山駅から本川越間が電化、 ほぼ同時に、東村山から高田馬場までが開業し「都立家政」を除く全駅が開業。
後の1937年に、旧制東京府立中野家政女子学校が開校されたことに関連し府立家政として開業し、 1943年に東京府が廃止されたことに伴い、駅名も変更され現在の都立家政となります。 ほかにも多くの駅が誕生、改称され、武蔵野鉄道と合併したあとになる、1952年にようやく 西武新宿まで延伸され村山線としてよばれていた路線は “新宿線” になります。
同時に川越線であった東村山から本川越の区間も新宿線に吸収され、現在の形態になります。

多摩湖線
多摩湖鉄道は1928年3月7日に設立。
当時、川越鉄道や中央線とも接続している国分寺駅から萩山駅までが開業されました。
青梅街道駅、国分寺駅・萩山駅の3つの駅が開業し、小平線(現在の拝島線の小平付近〜萩山)が同年1928年11月に開業します。ただし現在の小平駅とは位置・駅名が異なり、本小平(もとこだいら)駅と 称し、本小平駅は現在の小平駅より萩山・久米川寄にあったとされています。
その後、現在の“多摩湖北線”とよばれる萩山〜村山貯水池(仮)(現在の武蔵大和駅付近)が開業し、 1936年、現在の西武遊園地駅にあたる村山貯水池駅が開業しました。
1940年、武蔵野鉄道と合併、1942年には八坂駅が開業し、多摩湖線となり現在に至ります。


元々西武軌道の社紋であり、現在でもグループ会社の一部で使われ続けている社紋でもある。 現在の西武鉄道は、1946年11月15日に西武農業鉄道が社名を変更した会社として誕生。
当時保有していた現在の池袋線、新宿線、国分寺線などの路線を改良していき、さらに新路線を建設、 当時小平から玉川上水までを結んでいた上水線を1968年に拝島まで延伸し拝島線になったほか、 翌年には同時進行で進められていたに等しい西武秩父線が開業し、当時私鉄のトンネルで一番長い 正丸トンネルも約2年かけて完成させた。
西武秩父線開業時に、西武鉄道初となった特急列車が運転開始となり、都内から埼玉県秩父地方へのアクセスが大幅に便利になります。 その後通勤型車両も冷房機器の搭載をはじめ、利用者へ気持ちの良いサービスを展開、そのため、一時期冷房率で関東私鉄第1位になったことも。
しかし、1986年に新宿線田無駅構内にて通称“田無事故”とよばれる西武鉄道の中でも一大事の 追突事故が発生し、西武鉄道の研修センター内にはこの事故を中心に取り上げた事故資料展示室があります。(教育資料のため、社員以外の一般見学は原則不可。)
昭和の末期、1988年にはプリペイドカードである “レオカード” が発売開始。
1,000円券、3,000円券、5,000円券(5,300円分が使用可能)の3種類が発売され、基本図柄以外にも 多くの記念レオカードが発売(さよなら記念、語呂合わせ記念等)され、2000年に後継となる “パスネット”(SFレオカード)が導入、デザインバラエティさもSFレオカードに引き継がれました。
レオカードはテレフォンカードと同じように、あくまでも金券的な要素として自動券売機での切符 購入時にしか使用はできませんでしたが、SFレオカードはSF機能(Stored Fare system)があることで自動改札機でも使用できるようになり、関東ではJR東日本を除き多くの鉄道会社で使用できました。 時代の流れはJR東日本が展開していた“Suica”とよばれるICカードとなり、JR西日本では“ICOCA” 関西のスルっとKANSAI協議会では“PiTaPa”が導入されていき、関東の民営鉄道会社でも検討され、 2007年に“PASMO”が発売され、西武鉄道でも導入されました。
交通網のさらなる充実と混雑緩和のため、1983年には西武有楽町線が地下鉄有楽町線との直通運転が始まり、1988年には秩父鉄道への直通運転が、1998年には池袋線が西武有楽町線を経由し地下鉄有楽町線との直通運転を開始。
池袋線には他社線の車両が乗り入れて活気があふれているなか、2008年には地下鉄有楽町線新線が延伸され "副都心線" となり、渋谷まで直通運転を開始しました。
さらに、2013年3月には渋谷からつながる東急東横線・横浜高速鉄道みなとみらい21線との直通運転が開始されました。